天に召されるとは

こんにちは、SUMIです。

わたしは24歳の時から瞑想をし始めて、約15年位になるのですが、

今でも、忘れられない記憶を、

今日は、記したいと思います。


私は子供が3人います。

3姉妹で、3女を産んだ日が


2011年3月13日

でした。

東日本大震災の3日後に生まれた子供です。


予定日はもう少し遅かったんですが、震災が起きて、

自分も赤ちゃんもびっくりしちゃったのか、予定日より早めの出産でした。


震災のせいで、

里帰りで出産する予定の病院は休診

断水中、電気もまだ復旧していない状態のなか、

陣痛が始まりました。


急遽、自家発電できている大きい病院での出産で

分娩台もなにもない、


広いスペースに

簡易ベッドとパーテンションが

規則正しく並んだ場所で、産むことになりました。


上二人の子を普通分娩で産んでいたので、

まぁ、何なんとかなるだろう。と思っていましたが

さすがの非常事態に、

助産師さんも慣れない場所で不安そうでした。


陣痛が強さを増し、破水。

この世の痛みとは思えないほどの、苦しさ。


我が子が産道を通って、いよいよこの世に生を落とす瞬間


その時の感覚が、

今までも感じた事がある感覚


それは、深い瞑想状態になっている時の感覚


天に光が見え、なにものにも祝福されている感覚


我が子を生み出す時に、同じ感覚を覚えている私がいました。



その時から、

私は、死ぬ時も同じ感覚なのだろうと

死を恐れなくなったし

死は

みんなが嘆き悲しむ程の、ことでは無いのだろう

と思った瞬間でした。


悲しむというのは、

そのものに大して未練があるから悲しむものであって

未練がなくなれば、祝福すべきこと

なのではないかなと、思います。


出産体験から、いきなり死について考えたけど、


何かを生み出すというのは

素晴らしいこと

絵にしても、文にしても、音楽にしても。


わたしも、もう、子供は産むつもりは無いけれど

なにか違うものを生み出して生きたいとおもっています。






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瞑想トレーナー・催眠セラピストとして活動している めいそうかすみのホームページです。  サイキックなアプローチで 日常生活を豊かにしていきましょう。 クライアントに寄り添った カウンセリング・セッションを 心がけています。

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